2019年5月31日金曜日

キュタヒア以外の地域で活躍中のアーティスト

今年から始めましたキュタヒア・アートをご紹介するサイトに
キュタヒア以外の地域で活躍中のアーティストも随時ご紹介していくことになりました。

トルコには、本当にたくさんの芸術活動をされている方がいらっしゃいます。

その始めはアンカラ在住のフェルト作家、オズヌル・ドンメズ氏です。



オーストラリア産のスーパーソフトウール100%を使用し、染め、デザイン、絞り、縫製の全行程を行います。

全て1点もの! 当然ですね~





素晴らしい色合いですね

こちらは表裏両方使用できるコートです。大作ですね!
ソフトウール100%はとても軽く温かいです

以下は額縁付のフェルトをカンバスとした絵画です。
彼女は個展を3回開いています。そのうち、女性をテーマとした「Woman Who Make House To Home.」という題材の絵画をいくつかご紹介します。




私は個人的に彼女のフェルト絵画が好きです。彼女の伝えたいことが絵画を通じて理解できるからです。

アンカラを中心に活躍しています。


フェルト帽子(ミルクティー色でした!)やシフォンスカーフ+フェルトもあり、本当に素敵な作品ばかりでした(全て写真に撮ったつもりでしたが、アップ出来ない程ピンボケでした!失礼!)

サイトにも書きましたが、彼女は本来、農学専門の種子専門家です。その小麦とトウモロコシ種子の研究リサーチの為に出向いたメキシコでご主人と出会われたそうです。退職後に始めたフェルト作家の道。ご夫婦揃って彼女の個展をご案内されます。とても気さくで素敵なご夫婦です。

こちらの作品は一部、この夏に日本の「トルコフェア」に出展を予定しています。
また、具体的に決まりましたらお知らせいたします。

お楽しみに!





2019年5月3日金曜日

正倉院とヴィトン

こんにちは。今日は前回の正倉院の続きです。

年1回開催されます「正倉院展」
第67回(2015年度)に公開された「紫檀木画槽琵琶」のデザインがルイ・ヴィトンのモノグラムにそっくりだと話題になりましたね。

1300年前より 日本:正倉院貯蔵
( The National treasures of Japan : about 1300 years ago )


で、こちらがその話題のヴィトン・モノグラム




この頃はコピーライトなかったんでしょうか? 笑

1878年 かの有名なパリ万博で「ジャポニズム」旋風が巻き起こります。
もちろん、ルイ・ヴィトン氏も例外ではありません。
当時ゴッホ・セザンヌ・ルノワール・モネ達に多大な影響を与えました。

ルイ・ヴィトン氏 (元情報:https://www.tv-asahi.co.jp/ss/131/japan/top.html )

日本には「家紋」モチーフがあります。その家紋に影響されたルイ・ヴィトン氏は「LV」と正にイニシャルを入れ「家紋」としたのです。

市松模様➡「ダミエ」として影響されていることは言うまでもありません




ま、正直に言いましてオリジナルが日本でヴィトンは救われていますよね。
これが他の国でしたら、今頃大騒ぎの上、小さな国ひとつの予算ほど賠償請求していることでしょう。


当時からパリでは偽物と業者間の壮烈なデザインコピー闘争があったようです。難しいですね。こういった市場を作る仕掛けともいえるブームとコピー。やはり丸ごと、そのままコピーするのは道徳に反しますね。アーティストではなく「技術者」ですね。


日本人としては、誰しもが知るルイ・ヴィトンに影響を与えたデザイン画が日本である事は誇りですね。


やはりデザインを生み出してこそ、アーティスト。これを知ってしまうと、ヴィトンの技術だけを評価してしまいますね。実際、日本の漆塗り技術を用いた「櫃」をヴィトンは取り入れたそうですから、技術者ですね。


ヴィトンから新しいデザイン画は生み出されているのでしょうか?技術力の「Tiger」シリーズはシンプルで男性には良いかと思いますが、デザインではないと思います。

2003年に村上隆氏とのコラボも既に16年前。これも日本による験担ぎですね。


伝統技術を影響させて良いモノづくり。更に進化し続けるには、やはりデザインは大切ですね。

肝心の「紫檀木画槽琵琶」はペルシアに起源を持つとされる4弦の琵琶です。オリエンタルな雰囲気と規則正しく配列された木画(モザイク)に象牙や鹿の角を用いられた素晴らしい芸術弦楽器です。

文末になりましたが、キュタヒア・アーティストのシェムセッディン・ダレン氏の琵琶を弾く女性を描いた素晴らしいタイル画をご紹介します。
タイル20枚での作品です! いつも笑顔のダレン氏の作品の中で私はこちらのパネル作品が一番好きです。素晴らしいですね!



2019年5月2日木曜日

日本にも渡って来た宝相華模様 正倉院 

こんにちは。令和初年度、世界が平和でありますように。

今日は日本にもある伝統柄、宝相華について書きます。

トルコを代表する16世紀のイズニックデザイン画はイラン・タブリーズの陶工から取り入れ、宮殿のデザイン係りにより開発されました。
その中でも多くは中国の唐草模様からも取り入れました。

その中国の唐草模様は遥か昔、唐(7-10世紀)の時代から盛んに生産されました。唐草模様、絵付けが盛んになった唐時代は世界を旋風します。それ以前は黒陶、青磁、鉛釉、そして技術の向上した黄釉・緑釉のかかった白磁が開発、生産されていました。

その唐草模様は大陸のウイグルから来ています。てっきり中東模様と思っていましたが、ウイグルからはTezhipやminiatureも中東文化へ継承されています。シルクロードとは、名の通り中国大陸と中東を結ぶ文化道です。

その華やかな文化は7世紀日本にも受け継がれました。聖武天皇ゆかりの品々です。
宝相華模様として有名な正倉院に保管されている国宝の数々です。

その中でも、まずはこちらをご覧ください。
兵庫県立考古博物館貯蔵 

こちらは、その唐時代全盛期に遣唐使により日本に渡りました「金粒珠玉象嵌宝相華紋六稜鏡」です。見事に中東文化を思わせるデザイン装飾ですが、実はウイグル経由の中国大陸から伝わっています。この六稜というシンメトリックにもジオメトリックにもなるデザインを使用しているところは現代の中東文化の原点を見ているようです。

中東が先かウイグルが先かという点では、シュメール文明にシンメトリックデザインは存在していたようですので、中東が先ですね。この辺りは勉強不足です。

宝相華デザイン 正倉院

金銀鍍宝相華文透彫華籠(京都国立博物館:国宝)

こちらは完全に唐草模様ですね。豪華な仕上がりです。
デザインは着物にも反映されたのは当然の流れですね。



正倉院文様 (詳しく説明されている元情報先はこちらですhttps://www.e-kotto.com/topics/2015061029e-kotto-new.html


なるほど、天平文化は正にシルクロード文化の日本開花だったのですね。
今更ながら、こちらトルコに来てから日本史を観て知りました。聖徳太子の服装や様相はウイグルのテングリ族と言われる民族にそっくりです。

正倉院デザインを元にファブリックデザインを起こしている企業より

左端「菱型花卉」はスルタンのお墓に使用されているデザインに似ていますね。


という訳で、私も宝相華デザインにチャレンジ!

自己満足100点!  宝相華デザインは約1400年前に日本へ来ていたんですね!
素晴らしいデザインは生き続けるのですね

確かに着物はいつの時代もファッション界にインスピレーションを与え続けて来られたのも、絶えることなく1400年以上デザインを改革し続けた日本の職人芸によるものです。
着物には幾何学模様、花、鳥、唐草、宝相華、沢山モチーフがあります。これは日本の財産です。



改めてシルクロードと海を越え日本との文化の繋がりに深く感銘を覚えました。









2019年4月18日木曜日

キュタヒアの巨匠 ハムザ・ウストゥンカヤ氏【人間国宝】

本日はキュタヒアの巨匠、ハムザ・ウストゥンカヤ氏をご紹介します。

まずは巨匠のお写真からです。
現在74歳のハムザ・ウストゥンカヤ氏はキュタヒアにおいて唯一のキュタヒア・デザインを守り続ける巨匠です。 

先にご紹介しました、あの複雑で繊細なキュタヒア・デザイン(線対称+幾何学模様+オリジナルデザイン)を毎日、新しいデザイン画を生み出される天才です。

ご本人曰く、アイディアに作業が追いつかない、との事。

確かに、いつ訪問しても毎日デザイン画をご披露してくださいます。素晴らしいですね!
そのデザイン画は日々、蓄積されますので、現在出版に向け準備中とのことです。15000冊、トルコの全図書館に配布されるそうです。  

お写真でもご覧いただける通り、とても背が高く目の前に伏せてあります大皿(60cm)は標準サイズに見えますね 笑

そして、デザインには壮烈な戦いがある歴史を持つキュタヒア陶器産業。デザインを盗み取られないように、作業中の作品は必ず伏せられます。

毎日、どこからアイディアは来るのか??
と、言う疑問にも答えはあります。 ハムザ・ウストゥンカヤ氏はキュタヒアでは有名な陶器生産名門一族ご出身なのです。デザイナーでもあり陶芸家の父親から継承され、娘さんへ受け継がれています。素敵ですね!

芸術センスは、毎晩、詩を詠まれることから鍛錬されていらっしゃいます。
この辺りは日本古来文化ととても共鳴していますね。

ずばり、本物のアーティスト!でございます。

かなりの頑固者でもあり、芸術の為に描く魂、拘りと哲学をお持ちです。
キュタヒアでの陶器絵付けの歴史は宮殿から配布されるデザインと注文されるイズニックとはかけ離れた、芸術の為の丁寧に作り上げられた歴史があり、現在、正当キュタヒア・デザインを制作される唯一の巨匠として重鎮されています。

トルコ観光文化省では「人間国宝」と称され、登録されています。

エルドアン大統領に贈呈される一方で、販売は稀で、基本は購入不可です。
極めて珍しい芸術家です。

現在、工房化の進む中、デザインから仕上げまでご自分の手で全て仕上げられる巨匠。
それでは、現在唯一の「壮絶デザイン」を手掛けるキュタヒアの巨匠ハムザ・ウストゥンカヤ氏の作品をご覧ください。 (これまたピンボケ!失礼します!)





2019年4月17日水曜日

キュタヒア デザイン

キュタヒアにはオリジナルデザインが存在します。それは「とても複雑で繊細」なシンメトリー(線対称)+ジオメトリック(幾何学)デザインです。

キュタヒアデザインの歴史書より抜粋しました。
まずは画像をご覧ください。
もう、気絶しそうです!

こちらは16-18世紀のキュタヒア・アンティークになります。
直径50cmの大皿です。現在と同じくコンパスを使用されていたようです。
この頃の筆は何を用いられていたのでしょうか?

細かいところまでは勉強不足です。
線対称は比較的簡単にデザインできますが、幾何学模様を組み入れるのは至難の業!

画面を良く見ていただくと分かるのですが、幾何学模様は基本的に組み込む作用の為、線に見えても後ろにいったり前に来たり(画面上にレイヤーを入れる感じです)しています。

この一枚の大皿にどれだけ時間をかけて作業されていたのかと想像すると、相当の忍耐力が備わっていないと難しいですね。この時代に・・・・・

キュタヒア・アンティークは、その色合いにも特徴があります。現在では同じ色は生み出せません。キュタヒアの土地で収穫した土、鉱物のみ使用していました。アンティークは黄色が特徴的です。この色を見ると、キュタヒア・アンティークだと分かります。
地産地消精神ですね!  
現在キュタヒアでは顔色(色付染料)は中国産を使用しています。


それでは、気絶デザインの数々をご覧ください。(ピンぼけ!失礼します!)



同じ16世紀でも、イズニックではサズ(葉っぱデザイン)やチューリップ、主に花を幾何学模様に組み込むモチーフが大流行していた中、地道に複雑で繊細なデザインを続けていたのがキュタヒアです。アルメニア人による力の抜けた人物像も有名なキュタヒアですが、こういった気の遠くなるような作業もあり、とても個性溢れる地域性が現在まで続いている証拠ではないのでしょうか。


因みにキュタヒア(赤〇で囲んでいるところ)とイズニック(グーグルポイント)の位置関係を地図で見てみます。
おおよそ200km弱あります

実はイズニックに行ったことはありません
イズニックはキリスト教では欠かせない聖地との事で、これまた歴史の交差点地域ですね
次回、行ってみます!

キュタヒア 陶磁器の歴史

こんにちは、今日はお借りした本より抜粋しまして
キュタヒア陶磁器の歴史をお伝えします。

キュタヒア最大の陶磁器生産会社「キュタヒア・ポーセラン社」より発行された本

こちらでは陶器全般を「チニ: Çini 」と呼びます。由来は中国「チン: Çin 」です。
中国の青白陶磁器が世界を旋風していた時代にトルコにも伝わりました。

(私の個人的な感想としては、具体的なデザインや技法はイラン・タブリーズから陶工を呼び寄せ習得した訳ですから、なぜ、中国からの由来を採用したのかは疑問です!)

ですが、この長い長い歴史あるキュタヒアでは中国やイラン(ペルシア)から陶磁器技術を習得する以前に既に陶器産業は存在していました。(ですよね)

ちょっと横道逸れますが、キュタヒア博物館ではAD200年頃に製造されていたガラス食器が展示されています。ン千年前の縄文式土器の様なタイプはもちろんのこと、ガラス食器までありますから、「絵付け」技術という意味において16世紀にデザインを考案した絵付け陶器皿として美術品を生み出した、と理解しています。

それでは、このキュタヒア・ポーセラン社の書かれている昔話を始めます。

「 昔、むかし西アナトリアの職人達は週1回開催される大きな市場に自分達の陶器を持ち出し、販売していました。どこからともなく、その市場にある老女が現れ、彼女の陶器を販売し始めます。たちまち売りさばき、見事に短時間で完売しました。

 彼女の陶器は品質良く、他の職人達は嫉妬しました。どうすれば、あの品質を生み出せるのか疑問に思い、彼女の帰路を追いました.

 そして、彼女の住むその粘土に秘密があることが分かりました。問題はとても険しい山肌と河に囲まれた土地でしたが、職人達は何とかその土を持ち出すことに成功しました。

 もちろん、同じ高品質陶磁器を生み出すことが出来ました。たちまち、この陶磁器は有名になり、この村全体を「セラモリウム:昔の言語でセラミックの町という意味」と呼ぶようになりました。その後、大発展を遂げ「セラモリウム」から「※コティアイオン」へ
更に「キュタヒア」となりました。

これが何千年にも及ぶキュタヒアの歴史です。地球と人々の深い歴史です。1400℃の窯で焼かれた高品質の陶磁器は日常生活の必需品となりました。」





※KOTIAIONについての投稿はこちら

https://kutahyajp.blogspot.com/2019/01/blog-post_15.html

KOTIAIONはローマ帝国時ですから、おおざっぱに言ってAD200年頃からですね。
セラモリウムの方がキュタヒアより響きは断然よいと思いますけれど!

追文は会社の宣伝が入っていましたので割愛。


面白いですね。個人的には本当に「セラモリウム」という響きの方が「キュタヒア」より気に入っています。何かの化学記号みたいな響きですけれど!







2019年3月18日月曜日

- Kütahya Art- 新しいサイトを立ち上げました

キュタヒアは2017年に正式にUNESCO・ユネスコ創造都市ネットワーク クラフト・フォークアート市として認可されました。

フォークアートって民芸品ということですね

確かに民芸品、多いです 
一般の方も手作り品のレベルは高いです

出来る限り、素敵な1点ものをご紹介させていただきたいと思います

色んな人生があるんですね~

ある画家さんは、リタイアされてから兼ねての趣味を本業にされました
リタイアされた職業とは、「警察官」です!

町の警察官まで芸術家なんて、ユネスコ創造都市ネットワークに相応しいですね

お時間ありましたら、覗いてみてください

Kütahya Art  - キュタヒア・アート -