本日はキュタヒアの巨匠、ハムザ・ウストゥンカヤ氏をご紹介します。
まずは巨匠のお写真からです。
現在74歳のハムザ・ウストゥンカヤ氏はキュタヒアにおいて唯一のキュタヒア・デザインを守り続ける巨匠です。
先にご紹介しました、あの複雑で繊細なキュタヒア・デザイン(線対称+幾何学模様+オリジナルデザイン)を毎日、新しいデザイン画を生み出される天才です。
ご本人曰く、アイディアに作業が追いつかない、との事。
確かに、いつ訪問しても毎日デザイン画をご披露してくださいます。素晴らしいですね!
そのデザイン画は日々、蓄積されますので、現在出版に向け準備中とのことです。15000冊、トルコの全図書館に配布されるそうです。
お写真でもご覧いただける通り、とても背が高く目の前に伏せてあります大皿(60cm)は標準サイズに見えますね 笑
そして、デザインには壮烈な戦いがある歴史を持つキュタヒア陶器産業。デザインを盗み取られないように、作業中の作品は必ず伏せられます。
毎日、どこからアイディアは来るのか??
と、言う疑問にも答えはあります。 ハムザ・ウストゥンカヤ氏はキュタヒアでは有名な陶器生産名門一族ご出身なのです。デザイナーでもあり陶芸家の父親から継承され、娘さんへ受け継がれています。素敵ですね!
芸術センスは、毎晩、詩を詠まれることから鍛錬されていらっしゃいます。
この辺りは日本古来文化ととても共鳴していますね。
ずばり、本物のアーティスト!でございます。
かなりの頑固者でもあり、芸術の為に描く魂、拘りと哲学をお持ちです。
キュタヒアでの陶器絵付けの歴史は宮殿から配布されるデザインと注文されるイズニックとはかけ離れた、芸術の為の丁寧に作り上げられた歴史があり、現在、正当キュタヒア・デザインを制作される唯一の巨匠として重鎮されています。
トルコ観光文化省では「人間国宝」と称され、登録されています。
エルドアン大統領に贈呈される一方で、販売は稀で、基本は購入不可です。
極めて珍しい芸術家です。
現在、工房化の進む中、デザインから仕上げまでご自分の手で全て仕上げられる巨匠。
それでは、現在唯一の「壮絶デザイン」を手掛けるキュタヒアの巨匠ハムザ・ウストゥンカヤ氏の作品をご覧ください。 (これまたピンボケ!失礼します!)
2019年4月18日木曜日
2019年4月17日水曜日
キュタヒア デザイン
キュタヒアにはオリジナルデザインが存在します。それは「とても複雑で繊細」なシンメトリー(線対称)+ジオメトリック(幾何学)デザインです。
キュタヒアデザインの歴史書より抜粋しました。
まずは画像をご覧ください。
もう、気絶しそうです!
こちらは16-18世紀のキュタヒア・アンティークになります。
直径50cmの大皿です。現在と同じくコンパスを使用されていたようです。
この頃の筆は何を用いられていたのでしょうか?
細かいところまでは勉強不足です。
線対称は比較的簡単にデザインできますが、幾何学模様を組み入れるのは至難の業!
画面を良く見ていただくと分かるのですが、幾何学模様は基本的に組み込む作用の為、線に見えても後ろにいったり前に来たり(画面上にレイヤーを入れる感じです)しています。
この一枚の大皿にどれだけ時間をかけて作業されていたのかと想像すると、相当の忍耐力が備わっていないと難しいですね。この時代に・・・・・
キュタヒア・アンティークは、その色合いにも特徴があります。現在では同じ色は生み出せません。キュタヒアの土地で収穫した土、鉱物のみ使用していました。アンティークは黄色が特徴的です。この色を見ると、キュタヒア・アンティークだと分かります。
地産地消精神ですね!
現在キュタヒアでは顔色(色付染料)は中国産を使用しています。
それでは、気絶デザインの数々をご覧ください。(ピンぼけ!失礼します!)
同じ16世紀でも、イズニックではサズ(葉っぱデザイン)やチューリップ、主に花を幾何学模様に組み込むモチーフが大流行していた中、地道に複雑で繊細なデザインを続けていたのがキュタヒアです。アルメニア人による力の抜けた人物像も有名なキュタヒアですが、こういった気の遠くなるような作業もあり、とても個性溢れる地域性が現在まで続いている証拠ではないのでしょうか。
因みにキュタヒア(赤〇で囲んでいるところ)とイズニック(グーグルポイント)の位置関係を地図で見てみます。
おおよそ200km弱あります
実はイズニックに行ったことはありません
イズニックはキリスト教では欠かせない聖地との事で、これまた歴史の交差点地域ですね
次回、行ってみます!
キュタヒアデザインの歴史書より抜粋しました。
まずは画像をご覧ください。
こちらは16-18世紀のキュタヒア・アンティークになります。
直径50cmの大皿です。現在と同じくコンパスを使用されていたようです。
この頃の筆は何を用いられていたのでしょうか?
細かいところまでは勉強不足です。
線対称は比較的簡単にデザインできますが、幾何学模様を組み入れるのは至難の業!
画面を良く見ていただくと分かるのですが、幾何学模様は基本的に組み込む作用の為、線に見えても後ろにいったり前に来たり(画面上にレイヤーを入れる感じです)しています。
この一枚の大皿にどれだけ時間をかけて作業されていたのかと想像すると、相当の忍耐力が備わっていないと難しいですね。この時代に・・・・・
キュタヒア・アンティークは、その色合いにも特徴があります。現在では同じ色は生み出せません。キュタヒアの土地で収穫した土、鉱物のみ使用していました。アンティークは黄色が特徴的です。この色を見ると、キュタヒア・アンティークだと分かります。
地産地消精神ですね!
現在キュタヒアでは顔色(色付染料)は中国産を使用しています。
それでは、気絶デザインの数々をご覧ください。(ピンぼけ!失礼します!)
同じ16世紀でも、イズニックではサズ(葉っぱデザイン)やチューリップ、主に花を幾何学模様に組み込むモチーフが大流行していた中、地道に複雑で繊細なデザインを続けていたのがキュタヒアです。アルメニア人による力の抜けた人物像も有名なキュタヒアですが、こういった気の遠くなるような作業もあり、とても個性溢れる地域性が現在まで続いている証拠ではないのでしょうか。
因みにキュタヒア(赤〇で囲んでいるところ)とイズニック(グーグルポイント)の位置関係を地図で見てみます。
おおよそ200km弱あります
実はイズニックに行ったことはありません
イズニックはキリスト教では欠かせない聖地との事で、これまた歴史の交差点地域ですね
次回、行ってみます!
キュタヒア 陶磁器の歴史
こんにちは、今日はお借りした本より抜粋しまして
こちらでは陶器全般を「チニ: Çini 」と呼びます。由来は中国「チン: Çin 」です。
中国の青白陶磁器が世界を旋風していた時代にトルコにも伝わりました。
(私の個人的な感想としては、具体的なデザインや技法はイラン・タブリーズから陶工を呼び寄せ習得した訳ですから、なぜ、中国からの由来を採用したのかは疑問です!)
ですが、この長い長い歴史あるキュタヒアでは中国やイラン(ペルシア)から陶磁器技術を習得する以前に既に陶器産業は存在していました。(ですよね)
ちょっと横道逸れますが、キュタヒア博物館ではAD200年頃に製造されていたガラス食器が展示されています。ン千年前の縄文式土器の様なタイプはもちろんのこと、ガラス食器までありますから、「絵付け」技術という意味において16世紀にデザインを考案した絵付け陶器皿として美術品を生み出した、と理解しています。
それでは、このキュタヒア・ポーセラン社の書かれている昔話を始めます。
「 昔、むかし西アナトリアの職人達は週1回開催される大きな市場に自分達の陶器を持ち出し、販売していました。どこからともなく、その市場にある老女が現れ、彼女の陶器を販売し始めます。たちまち売りさばき、見事に短時間で完売しました。
彼女の陶器は品質良く、他の職人達は嫉妬しました。どうすれば、あの品質を生み出せるのか疑問に思い、彼女の帰路を追いました.
そして、彼女の住むその粘土に秘密があることが分かりました。問題はとても険しい山肌と河に囲まれた土地でしたが、職人達は何とかその土を持ち出すことに成功しました。
もちろん、同じ高品質陶磁器を生み出すことが出来ました。たちまち、この陶磁器は有名になり、この村全体を「セラモリウム:昔の言語でセラミックの町という意味」と呼ぶようになりました。その後、大発展を遂げ「セラモリウム」から「※コティアイオン」へ
更に「キュタヒア」となりました。
これが何千年にも及ぶキュタヒアの歴史です。地球と人々の深い歴史です。1400℃の窯で焼かれた高品質の陶磁器は日常生活の必需品となりました。」
※KOTIAIONについての投稿はこちら
↓
https://kutahyajp.blogspot.com/2019/01/blog-post_15.html
KOTIAIONはローマ帝国時ですから、おおざっぱに言ってAD200年頃からですね。
セラモリウムの方がキュタヒアより響きは断然よいと思いますけれど!
追文は会社の宣伝が入っていましたので割愛。
面白いですね。個人的には本当に「セラモリウム」という響きの方が「キュタヒア」より気に入っています。何かの化学記号みたいな響きですけれど!
キュタヒア陶磁器の歴史をお伝えします。
キュタヒア最大の陶磁器生産会社「キュタヒア・ポーセラン社」より発行された本
中国の青白陶磁器が世界を旋風していた時代にトルコにも伝わりました。
(私の個人的な感想としては、具体的なデザインや技法はイラン・タブリーズから陶工を呼び寄せ習得した訳ですから、なぜ、中国からの由来を採用したのかは疑問です!)
ですが、この長い長い歴史あるキュタヒアでは中国やイラン(ペルシア)から陶磁器技術を習得する以前に既に陶器産業は存在していました。(ですよね)
ちょっと横道逸れますが、キュタヒア博物館ではAD200年頃に製造されていたガラス食器が展示されています。ン千年前の縄文式土器の様なタイプはもちろんのこと、ガラス食器までありますから、「絵付け」技術という意味において16世紀にデザインを考案した絵付け陶器皿として美術品を生み出した、と理解しています。
それでは、このキュタヒア・ポーセラン社の書かれている昔話を始めます。
「 昔、むかし西アナトリアの職人達は週1回開催される大きな市場に自分達の陶器を持ち出し、販売していました。どこからともなく、その市場にある老女が現れ、彼女の陶器を販売し始めます。たちまち売りさばき、見事に短時間で完売しました。
彼女の陶器は品質良く、他の職人達は嫉妬しました。どうすれば、あの品質を生み出せるのか疑問に思い、彼女の帰路を追いました.
そして、彼女の住むその粘土に秘密があることが分かりました。問題はとても険しい山肌と河に囲まれた土地でしたが、職人達は何とかその土を持ち出すことに成功しました。
もちろん、同じ高品質陶磁器を生み出すことが出来ました。たちまち、この陶磁器は有名になり、この村全体を「セラモリウム:昔の言語でセラミックの町という意味」と呼ぶようになりました。その後、大発展を遂げ「セラモリウム」から「※コティアイオン」へ
更に「キュタヒア」となりました。
これが何千年にも及ぶキュタヒアの歴史です。地球と人々の深い歴史です。1400℃の窯で焼かれた高品質の陶磁器は日常生活の必需品となりました。」
※KOTIAIONについての投稿はこちら
↓
https://kutahyajp.blogspot.com/2019/01/blog-post_15.html
KOTIAIONはローマ帝国時ですから、おおざっぱに言ってAD200年頃からですね。
セラモリウムの方がキュタヒアより響きは断然よいと思いますけれど!
追文は会社の宣伝が入っていましたので割愛。
面白いですね。個人的には本当に「セラモリウム」という響きの方が「キュタヒア」より気に入っています。何かの化学記号みたいな響きですけれど!
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